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Untitled forever

30
Apr

結局、CIAとUSIA(合衆国情報局)は讀賣グループの原子力平和利用キャンペーンには手は貸すものの、アメリカ政府は原子炉の日本への輸出は渋った。日本やドイツのような科学技術の水準が高く、かつ敵国だった国には原子力平和利用の支援をひかえるというのが方針だった。その一方でイランやパキスタンやインドなどは積極的に支援した。今日、これがアメリカの頭痛の種になっているのは皮肉だ。

アメリカの態度に業を煮やした正力は、讀賣新聞を使ってアメリカの外交を批判し、かつイギリスから原子炉を購入することを決めてCIAを激怒させた。(それでも実験炉はアメリカから購入して抜け目なくバランスをとっている)

このような事実に照らしてみると、正力はCIAに操られていたというより、少なくとも原子力導入の時期は、CIAと互角にわたりあっていたというほうが正しいといえる。正力とCIAの関係は、持ちつ持たれつの、不思議な共生関係であって、どちらかがどちらかを支配するという関係ではなかった。終戦直後、巣鴨プリズンに押し込められていた時期の正力とGHQ(とりわけGII)の関係とは明らかに異なっていた。

それにしてもCIAやUSIA関係者は、正力のたかり根性には往生していた。正力は上院外交委員会(およびその顧問のホール・シューセン)にはマイクロ波通信網を、CIAには原子力発電所とカラーテレビをただでくれとしつこくねだった。

結局、最後のものだけはCIAからもらえたが、他のものはだめだった。

『日本テレビとCIA』を書き終えたあとわかった事実 (via otsune)
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