小出五郎氏は、NHK出身の科学ジャーナリストである。おそらく、NHKの科学的なスペシャルもので顔を知っている人もいるだろう。本は、300ページ以上に渡るので、最後まで読んでいない。本来、読了してから書くべきだが、別に書評を書くのが目的ではないので、冒頭述べたNHKのディレクターや週刊誌の記者がどのように発生したかを見る点で興味深い記述があったのでそれを引用する。
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バブルが崩壊し、効率化の波が日本中を覆う。そこで経費節減と合理化を名目に、当然のことのように行われるようになったのが「アウトソーシング」だった。公共放送局も民間放送局も例外ではない。要するに番組制作の下請け化である。
(中略)
アウトソーシングで、親会社は数字の上では経費削減に成功し、大きな利益を上げることができた。それは会社の株価に反映し、経営者の評価は高くなる。もしかしたら、生産会社ならそれでいいのかもしれない。しかし、少なくとも報道、言論に携わる組織に、最も必要なのはジャーナリストの人材である。人材を育てるうえで、アウトソーシングはとても妥当なやり方とは思えない。
それまでのプロデューサー・システムが、アウトソーシングへの移行を容易にした要因であったが、結果としてアウトソーシングは、大量の「ジャーナリストもどき」を生み出すことになった。プロセスが複雑になった分、「ジャーナリスト」に属するものが激増したからである。(小出五郎著「新・仮説の検証 沈黙のジャーナリズムに告ぐ」水曜社)
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マスメディアがアウトソーシングの波に飲み込まれると、2種類の「ジャーナリストもどき」と3つ目の大きな問題が生まれた。
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第一に、下請けに仕事を回すだけのプロデューサーが生まれた。
経験不足で制作能力はあやしいが、依託ならできる。発注元なので権限はある。無理難題を言い立てても下請けは従う。そのうち権限行使を仕事と錯覚する者が出てくる。オフィスにデンと座ったまま下請けの担当者を指図する。便宜を図ってもらいたい下請けからの誘惑も多い。下請けに支払う制作費を水増しして、その分を自分のところに振り込ませることを「キックバック」というが、キックバックで自宅を新築したなど、やがて利権関係に関する噂が絶えなくなる。悪貨は良貨を駆逐する。朱に交われば赤くなる。人の心は荒廃する。
第二に、仮説を検証しないディレクターが生まれた。
視聴者の耳目を集める企画をディレクターは提案したい。企画は前に書いたように仮説である。取材という検証を通じて初めて番組にすることができる。いわば番組に育てる前の芽のようなものだ。その前提が崩れた。
仮説の検証の第一は、まず現場に行くことである。関係者の話を直接に取材しなければ何事も始まらないはずである。ところが、仮説を立てるものと検証する者が別々になってしまった。
その結果、例えば、次のような過程で番組ができてしまう。
はっきり言って、仮説を立てるだけなら現場に行くまでもない。インターネットで十分である。パソコンと向かい合ってネットサーフィンを繰り返す。おもしろそうな事柄が見つかったらコピー、ペースト、プリントアウトが溜まったら、それで仮説を書く。採択になるような文言をちりばめ企画書を書いて、提案する。大体企画を書く段階では、毎日の業務に追われて時間がないし、予算は付いていないし、現場に行って詳しく取材できない。それが口実になる。
提案が採択になったら、下請けを選んで発注する。発注元は企画を仮説だとは言わない。仮設を定説のように示しがちだ。取材してみれば、仮説がまっとうだということが判明することもあるが、反対にとんでもないインチキと分かることもある。発注元はそれをしていない。
実際取材する下請けの担当者はどうか。発注と下請けという力関係にアンバランスがあり、しかも仮設を定説としてこだわる発注元がいると、仮説が間違いと分かっても指摘しにくい。逆らって顔をつぶすことになっては、次の仕事に支障が出る。取材してみて間違いを発見するだけの能力と気持ちがあればまだいい。発注元に命じられたことを命じられたとおりに仕上げて「一丁あがり」にするほうが、波風が立たずに平和的に収まる。
おまけに視聴率が上がるようなびっくり映像やびっくりエピソードが加われば、そのほうが放送局に喜ばれる。(小出五郎著「新・仮説の検証 沈黙のジャーナリズムに告ぐ」水曜社)
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つまり、これらの「ジャーナリストもどき」たちは、視聴者のために番組を作っていない。プロデューサーは、私腹を肥やすため、ディレクターは上司を喜ばすために番組を作っている。本来の目的である、事実の追求には関心がない。佐々木氏に電話した週刊誌の記者などは、仮説どおりにしゃべってくれればラクだろうとさえ考えているし、NHKのディレクターも自分の思い込んだ牙城を一歩も出てこようとしない。だが、本来のジャーナリズムはそのような予定調和の世界から飛び出すところに醍醐味がある。事実を調べていくうちに、これはどうなるんだろうというわくわく感があるはずなのだ。
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